大手日系メーカーの中堅社員のニューヨーク赴任について

大手日系メーカーの中堅社員のニューヨーク赴任について

アメリカに銀行口座を作る

 

6月末に赴任が決まり(赴任日はその当時まだ決まっていない)

7月初旬にさっそくアメリカの銀行口座を開設することにした。

とにかくお金と住むところをどうにかするのが最優先事項だと思った。

 

赴任者向け銀行口座プログラムというのがあり

三菱東京UFJ銀行グループのUnion Bankという銀行だ。

全米で21位の預金高(Wikipedia)ということなので

それほど大きいわけではないが、

「パシフィックリム・カンパニーベネフィット・プログラム」というのがあり

①渡米前に口座が作れ、

②日本の住所にキャッシュカードを送ってくれ、

③日本語で電話対応してくれる

というのが特徴らしい。

www.bk.mufg.jp

ところが、このサービスは三菱東京UFJに口座がないと受けられない。

僕はみずほだ。

ということで、まず三菱東京UFJ銀行に口座を作るところからスタートした。

他の銀行は知らないが、MUFGはなかなか便利だ。

土曜日でも無人契約機みたいなやつで契約できる。

ナニワ金融道で見た「ラララ無人君」のシステムと一緒だ。

無人と言いながら、どこかにいるオペレータの

お姉さんと会話しながら手続きを進める。

色々な申込用紙に書き込んだりするところも含めて、トータル1時間ぐらいで完了。

そのあと2~3日して、キャッシュカードが自宅に送られてくる。

 

そのあと、いよいよユニオンバンクの口座開設だ。

PDFで24ページある申込書に手書きで書いていく。

まあ、たまに

「外国の元首、外国の政府・中央銀行その他

 これらに類する機関において重要な地位を占める方」

□いいえ該当しません

とか変な質問があるが、延々と自分の名前、住所、勤務先などを

65535回ほど繰り返し書くだけの簡単なお仕事である。

書いて、パスポートのコピーとともにMUFGの大阪の窓口に郵送する。

封筒がなかったので、会社の封筒をがめた。

 

2日後に電話がくる。

僕の苗字はいわゆる「外字」が含まれているのだが、普段そんなこと意識せず、

学校で習う正しい文字を使って名前を書いていた。

ところが送った免許証のコピーと字体が違うということで、

送り返すという宣告だった。

仕方なく、返ってきた書類の名前の部分に訂正印を押し、

気持ちの悪い「外字」に変えていく。

ご先祖様はなぜこんな文字で戸籍を登録したのか。

 

そんなこんなで再度書類を提出すると、

2週間ほどで「スターターキット」的なものが送られてくる。

別添えでキャッシュカードも来る。

これで口座が開設された。

スターターキットの大半は訳の分からないものだが、

その中に、小切手帳申込用紙みたいなのがついてくる。

アメリカ生活への不安がよぎる瞬間である。

「小切手」「チップ」がお金の面での最大の不安要素ではないだろうか。

なにせアメリカに足を踏み入れたことすらないわけで、不安だ。

チップに関しては事前に練習をしておこうと思う。

リズムやテンポなど、実践が必要なものだろう。

小切手にくわえて、もう一つ、振込用紙が付いてくる。

MUFGの口座からユニオンバンクの口座へ移すための書類だ。

事前にMUFGの口座にいくばくか入れておいて、

さらにそこからユニオンバンクに移す作業だ。

 

ユニオンバンクの口座は月10ドルの維持費がかかる。

ただし、最初の3か月ほどは無料で、それまでに口座に1500ドル入れておけば

維持費が無料になる。

ということで、急ぎ201,000円をMUFGの口座に移し、

そこから200,000円をユニオンバンクに移すことにした。

ユニオンバンクへの振り込みは、例によってMUFG版「むじんくん」である。

日本のどこかにいるであろうお姉さんが土曜日でも対応してくれる。

どこにいるのだろうか。沖縄とかかもしれない。

これは即日振り込まれ、めでたくアメリカに銀行口座を用意することができた。

 

次は、クレジットカードである。

赴任先を探す

前回からの続き

 

ひいき目に見て中の上ぐらいで、客観的にみて中の中ぐらいの社員が

海外に1年研修で仕事をすることになったという話の続きですが、

ぶっちゃけて言うと、現地の人にあまり評判がよくないわけです。

この研修。

少なくともアメリカで評判が悪い。

というのは、僕みたいな人間がひょっと海外に1年ばかり突っ込まれても、

何もできない可能性が高い。

そうすると、お世話だけさせられてなんの成果も得られないし、

なんかこの日本人、気持ち悪い。みたいなことになるわけです。

ちなみに人件費は本社から出ているので、懐はあまり痛みません。

 

僕の場合は、僕の所属する事業本部トップがニューヨークに行かせたがったので

どんな仕事をするのか、よりも先に、ニューヨークというのが決まりました。

非常に、日本的な決まり方ですね。

彼の話を聞いていると、彼の頭の中には要するに、電波少年の猿岩石みたいな

イメージがあり、「ひどい目に合ってほしい」のだと。

西海岸のオフィスには日本人が多いので、日本人の少ないニューヨークで

ひどい目に合ってきてくれと。

「溺れているうちに泳げるようになるし人間成長する」という

本当なんだかうそなんだかわからない、でも、よくある嗜好性です。

 

問題は、現地が嫌がったことです。

最初に事業本部内の伝手で打診した部署は

打診のレスが1か月滞ったり、「検討します」とだけ返ってきたり

3か月ぐらいごねごねされた後、

最終的には「そんなやつを受け入れている暇はない」と断られました。

しかし、断ったやつが別の部署を紹介してくれまして、

その部署は余裕があるらしく「ええで」と脊髄反射

ところが、現地のHRのトップ(米人)が嫌がりまして、

「今までそのプログラムで受け入れたやつは、ろくな成果も出さず、

 特に成長もせず、ただ飯を食らって帰って行った」と

ぐうの音も出ないことを言いやがり、

アメリカ人というのは、摩擦を恐れず正論を言うもんだなあと感心し、

それでもこいつらのリージョン、赤字なんだなあ、と

さらに感心してしまいました。

3か月ほど、現地のHRの日本人とアメリカ人がなにやら交渉した挙句、

「今回の研修にあたって何を実現するか」と言ったような趣旨の計画書の

提出を条件に、受け入れてやってもいいということになり、

1月ごろから受け入れ先を探し始めてから、はや6ヶ月。

6月末ごろにようやく正式に決まったわけです。

ここから銀行だの、クレジットカードだの、なんやかんやの

具体的な準備が始まります。

(つづく)

ここまでのあらすじ

大手日系メーカの社員です。

年齢は38歳。まだ役職はありません。

これからもないかもしれません。

独身です。結婚経験もありません。

非モテの権化のような人間なので、おそらくこれからも独身でしょう。

 

職種としてはマーケターではあったのですが、

色々とあり、最近は総務的な、非常に不得意な仕事をしています。

 

昨年37歳の時に、昇格と同時に海外赴任プログラムに推薦されました。

1年間限定で海外の事務所に放り込み、"OJT"的に海外に慣れてこいという趣旨です。

30代後半にもなってOJTかよ。

ちなみに、このプログラムは単身で行かなければならず、

そのため、非モテを具現化したような僕に決まったのでしょう。

 

ちなみに、海外生活の経験はありません。

海外渡航経験も、36の時にフィリピンのセブ島に2週間、語学学校にすし詰め。

このプログラムへの参加が決まってから37の秋に台湾に4泊5日。

それだけです。

海外出張もありませんでした。

 

仕事も2~3年ほど、ドイツ人の御用聞きをしていました。

その時にやり取りしていた言語は英語で、

御用聞き部に異動になってから、英語を勉強し始めた感じです。

元々英語は苦手で、大学も赤本を立ち読みし、科目ごとの傾向と対策のページで

英語の難易度「易」と書かれていて、見栄えのする大学を選びました。

就職の時も外資系企業は最初から除外、国内企業でも海外売上比率が高い企業は避け、

注意深くドメスティックに生きるようにしてきたつもりでしたが、

やはり、海外との接点を強いられるときは強いられるようです。

 

もちろん、海外がイヤであれば断ってもよかったのですが、

以下の3点から受け入れました。

①社内でのポジションが甘めに言って中の上なので、自尊心を保てるなにかが欲しかった

②40にもなって役職がなかった時に、1年間海外に行ってたことが言い訳にできそう

③辞めるときに役立ちそう

「中の上」であるということは本当に引っかかっていて、

本当は「中の中」ぐらいなのかもしれないですが、

正直まったく納得がいかず、気持ち的に荒んでいたころでした。

今も納得がいっていないので、

海外赴任から戻った後、辞めることで序列から外れて楽になろうと思っています。

 

現在の英語力はTOEIC895点ですが

TOEICスコアはまあ、無相関とまでは言いませんが、

英語の実運用力ときれいに相関しておらず、

実際のところ、英語でのやり取りは非常に苦労します。

 

海外体験赴任プログラムへの参加が正式に決まると、

月一回対象者が集められ、研修が始まります。

ファンマルバイクみたいな見た目の単価の高そうな外国人の先生が

僕のような社内でも中の上程度の人間に

英語で圧迫面接をしたりするトレーニングです。

同じトレーニングを受けていた中の一人は、

入社してから一番つらい経験だったとこぼしました。

そんなにつらいことがなかったのかと、僕は驚きました。

 

そんなこんなで、半年程度続いたトレーニングも終わり、

どこに行くか行き先を探してくるフェーズが始まりました。

(つづく)